個人的な話をしてませんでしたが、末端ながら表現を商売にすることでご飯食べてる身分としては
氏のいう表現というのはあまりにも安っぽいですし、そんなキレイゴトを言うには行動が実に俗物すぎて感情としては不快ですし、
先に述べたようにいらん火の粉の火元として迷惑だとは思います。
です、が。
「私の信念は街を歩いてる女の人が今よりももっとより下品な恰好になったりパンツが見えてもさほど気にしない世界を目指すことで、もめごと起こすことじゃないですよ。ここテストに出るから。」
とtwitterで氏が文字通り”信念”を書いています。
うしじま氏はパブリックな場で下着やら尻やらを見せつけるのを「露出」
と称していますが、「性器」は見せてないわけですし、
それはしないというのは本人が明言しています。
じゃあ「露出」の何が問題なのだろうと思うと、「女として」思考がハタと止まるわけです。
マナーとかルールとか、要するに「女が(うしじま定義で言うところの)露出をするのが”ワイセツ”だから」って話に集約されると思います。
男なら単なる「変態」で通報されて三面記事を飾るだけで終わります。
性器見せることとの違いは、それが「近代文明において形成された合意」ということです。
んでもってそれは更に言うと「男の(一方的な)都合」で運用されています。
前のテキストで後述する、と言った部分です。
平たく言うと「露出度の高い服着てるのは男を挑発してるのと誤解されて痴漢にあいやすい(から自重しろ)」ってのと同じベクトルです。
ここが「その通りじゃん?」って人はその時点でこの文章は読んでもやっぱり理解できないと思うのでこのテキストは読む意味はありません。
が、わたしも含めて「そんな誤解すること自体が大誤りだバカちん!」って人は一定数居ますし、
個人的にはそういう「都合」にイラっとくる事もたまにあるわけで。
で、そのロクでもない合意を突き崩す方法の一つ。
それが、さっきの氏の「信念」です。
「露出するのがワイセツだと言うなら露出が”普通”な世の中になればいいじゃない(マリー」
そうなれば合意もクソもないですよね? 普通なんだから。
というわけです。
個人的な感情は上で述べた通りですが、
彼女を擁護しようとしてる人も、”悪”と断罪しようとしてる人もちょっとだけ「理由を」考えて欲しいなあと思うのです。
2012年02月11日
うしじま某さんの話2:「テロリスト」の何が“問題”なんだろう。
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今台湾出問題になってるのであって
「信念」うんぬん関係ないような気が…。
「卑猥な格好で警察の品位を貶めた」ことで
台湾人の感情を逆なでし、新聞の一面に載り
日本人への勘定が悪くなってることに対して日本人も怒っているのであって
それを「信念だ!」で片付けるのはどうかと…。
コスプレイヤーがみんなそうだと思われたらいやですし
都合の悪い失言ツイート消して知らんぷりとか
そういうブザマなことはしないんじゃなかなって思いました。
その行為が問題になる世の中を破壊しちゃる!
というのが彼女の信念であることは記事中で書いた通りです。
、
コスプレイヤーがみんなそうだと思われたらいやなのは同意ですが(というよりも彼女はコスプレイヤーという肩書きを使うなという話ですが)、めめ様はそう言いながらも”日本人も怒っている”というようにおっしゃられてますのは、”日本人がみんなそう思っている”と書かれているように見えます。
憤りはお察ししますが、そういう国家間の話ではない(にすると左とか右的な人達までやってきて彼女が煙に巻かれます)ですので、コスプレイヤーを語る露出狂が起こした個人の問題として対処するのが一番穏当かと思われます。
>わらた様
まぁ実際その通りかと。
だからあくまでも信念というか、お題目が成り立つ
背景に関しては否定しないというだけで、テロリスト(既存の社会システムを破壊しようという人はそう呼ぶのが相応しいかと)のテロ行為に関しては擁護はしません。
「露出」の禁止というタブーも、他のタブーにもほぼ共通することがあります。
人は禁止されるからこそ、それに魅力を感じるということです。
タブーとされたことは、特別な時間にタブーが解禁されて、その瞬間にとても快感になるわけです。(以前の例ですが、禁猟区は禁猟にすることが、目的ではなくて、特別に許される期間があって、そのための禁猟区でした)
場合によっては、特別な人たちだけに、そのタブーが解禁されるということもあります。(近親婚は一般には禁止されていますが、王族では血の神聖さを保つために、近親婚だったというような例があるわけです。)
露出や性的なタブーも同じなわけです。
普段は禁止されていているからこそ、触れる時にエロスを感じわけです。
つまりは、禁止しする理由は、よりエッチが気持ちになるためです。
うしじまさん一人が、露出してる分には、そのタブーはタブーとして、機能していますが、そのほかの多くの人も真似るようになると、それはタブーとして機能しなくなるわけです。
すると、より過激なものにタブーを求めるようになるわけです。
単純に言うと、慣れたちゃうと、エッチに感じなくなるから、あんまり慣れさせていけないよって事です。
記事中でもわたしが述べている通り、うしじまさんの信念(というか単なる建前に成り下がりましたが)はそれがタブーでもなんでもない「普通」の世の中を目指す、ということです。
また、このタブーというのは言うまでもなく人が構築した”システム”であり、さらに言ってしまうと男性が女性を見る時に作り上げたある種身勝手なものです。
『単純に言うと、慣れたちゃうと、エッチに感じなくなるから、あんまり慣れさせていけないよって事です。』
この言説は「露出の高い服を着てると痴漢にあうから自重しろ」と同種の言説だと思いますので、個人的に賛同はいたしません。
もしかしたら、私の書き方が悪くて、勘違いさせたかもしれないのですが、タブー論は男性の視点ではなくて、女性の視点でも、全く同じことなのです。
「露出の高い服うんぬん」という言葉は、女性に非があるものとして、使われるもので、タブー論で言われるものと全く違うように感じるのですが。
また、『「露出の高い服うんぬん」という言葉は、女性に非があるものとして』というootori様の言説自体はまさしく「男性視点」ですし、「男女というシステムによって作られたお約束の害悪」です。
記事の内容を含め、わたしの言ってることをご理解なされたかどうかは分かりませんが、立脚点や価値観の問題ですので、どちらが正しいとかをこれ以上論じる事は無意味ですし、するつもりはありません。ただ、そういった考えがあるんだとでも認識をいただければ幸いです。
◯「露出の高い服うんぬん」という言葉は、女性「にも」非があるものとして、
http://girlschannel.net/topics/316528/
http://ameblo.jp/sakurany/entry-10294995454.html
http://islamjp.com/joho/suriya.htm
http://za-sh.com/easy-girl-4571.html
どちらにせようしじまはクズです。